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竹久夢二とは
大正ロマンを代表する画家・竹久夢二は「夢二式美人」と称される独自の画風で一世を風靡する人気を得ました。雑誌の口絵や挿絵、本の装幀、絵はがきなど、印刷を媒体とした幅広い創作活動は、イラストレーター、デザイナーの先駆けとなり、詩や童話など文芸の分野でも活躍しました。しかし、その生活は恋多きもので、別れと出会いを幾度も経験しながら旅を重ねる漂泊の人生を歩むこととなります。
生涯にわたり国内各地を旅したことで知られる夢二ですが、1931(昭和6)年、数え年48歳の時、父との死別、愛の破局、仕事の低迷など、これまでの苦難を断ち切るように憧れの欧米への旅を計画します。5月に横浜を出発し、カリフォルニア州を中心に約1年3ヶ月の間アメリカに滞在した後、ドイツを拠点にヨーロッパ各地を1年間回り、1933(昭和8)年9月に帰国しました。念願の旅は、世界的な不況と夢二自身の体調不良や気疲れなどで、失望と苦難の連続でした。そんななか、夢二は各地の風景や 人々の寸景、美人画など、多くの作品を心情のままに描き残しています。
今回は、夢二の死後長らく行方不明となり「幻のスケッチ」とも呼ばれていた、滞欧・滞米時のスケッチを中心に、滞在中に制作した多数の貴重な作品をまとめて公開します。あわせて、夢二が手がけた雑誌や楽譜の表紙、挿絵、口絵のほか、肉筆画の名品も紹介します。今もなお、多くの人々を惹きつける夢二の世界をお楽しみください。
金沢は、竹久夢二と縁のある地です。「夢二式美人画」のモデルとなった妻・岸タマキは金沢出身でした。また、次男・不二彦の病気が全快し、永遠の恋人・笠井彦乃と新婚旅行同然の時を過ごしたのが、金沢の湯涌です。夢二は自然豊かな湯涌を「心の故郷」と記し、ここに画室を建てたいと夢を語り、生涯忘れることはありませんでした。
湯涌には、夢二と金沢との縁にもとづいて、彼の業績を顕彰するために建てられた金沢湯涌夢二館があります。また、薬師寺境内には、夢二歌碑が建立されています。碑文には、病床に臥す彦乃へ捧げた歌集『山へよする』に収められた「湯涌なる」の一首が刻まれており、夢二と湯涌がどれほど縁の深い地であったかが分かります。
本展鑑賞と合わせて、いまも四季ごとに自然を楽しめる湯涌温泉で、夢二の作品や遺品などを鑑賞してみてはいかがでしょうか。
金沢湯涌夢二館
〒920-1123 石川県金沢市湯涌町イ144‐1 TEL:076-235-1112
【アクセス】本展会場最寄りバス停『兼六園下』または『出羽町』から北陸バス12湯涌線「湯涌温泉行」で約35分。
終点下車、バス停より徒歩4分。
詳しくは金沢湯涌夢二館HPをご覧ください。https://www.kanazawa-museum.jp/yumeji/